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福建省客家土楼の世界を訪ねます 募集は締め切りました |
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2003年スケッチツアー |
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【募集要項】 |
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■日程:2003年3月24日(月)〜3月31日(月)7泊8日 画/kiichi suzuki |
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ツアー内容・条件など |
関連ツアーの報告 |
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●旅行条件 ●発着地:
東京(成田空港)、ただしそれ以外の発着も相談に応じます。
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●中国地下住居ヤオトンのまちを見る |
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◆客家土楼の世界 |
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ここは福建省永定県の山の中……、輪型の生土シュントウの家(環形土楼)があちこちに潜んでいる場所である。土があり、風があり、夜の闇があり、動物や昆虫など自然という生態系まで一切合切含めて共棲し続けている世界がいまだに存在しているのである。この山奥に辿りつくまでに厦門から★州、青靖、永定とミニバスを乗り継いでやってきた。この間、まるまる三日間かかっている。途中で★州の老街ラオジー騎楼キロウなどをぶらぶらと歩いていたせいなのかもしれない。
輪の家つまり巨大な円い住居は、客家ハッカ一族がつくった大家族の集住体で、一般的に客家民居ハッカミンチーと呼ばれているが、外周壁が生土でできているので客家ハッカ土楼トゥロウとも言われている。彼らは北方の騎馬民族に圧迫され、黄河中流域(中原)から安住の地を求めてどんどん南下した流浪の民である。この辺りの山間部に定着したのが一二〜三世紀のことで、中原から遷移を始めたのは古く東晋時代の四〜五世紀にまで遡る。客家人は長い時間をかけて険しい山地に棚田を切り開き、数世同堂の大家族制度と城塞のような土楼住居を築きあげていったのである。
彼らは輪の家の他にも方形土楼や斜面土楼、平地型の群体住居などをつくっている。どの形式も軒は深く、外壁を生土壁で堅く閉ざし、内には木造で柔らかく開かれている。楼名を記した大門から門庁を潜って、ゆるやかな円い曲線を描いている走馬廊ツォウマアランを見上げていると、不意の訪問者でも何かしら内へ入ったというくつろぎに包まれるのである。 その安心感は生土壁の圧倒的な閉鎖意識とは裏腹な木造骨組の織りなす柔軟さからくるものなのかもしれない。あるいは幾重にもなった円い空間の親しさといえるかもしれない。家畜の鳴き声や人の声も聴覚を心地よく刺激してくる。ちょうど昼時だったせいか、炒めものの匂いも漂ってきた。人や動物が集まって住むことの楽しさ、助けあう形、協同の強いつながりを内なるパブリックな空間に想像することができるのである。
僕は振成楼の環形土楼に宿泊していたのだが、楼主は「瞭望台土楼的軍事防御施設、四層土楼、一楼的厨房二楼的粮倉三四楼的臥室」「坑地震、防風、防火、防盗、冬暖夏涼」という説明をしてくれる。
この漢字の意味を追えば、一階は厨房・食堂、二階は食料庫・雑品庫、三階以上が寝室群ということである。各寝室は平等に分割されていて、円形プランゆえに外側から内側に向かって若干すぼんでいる扇形の個室(約十平米)というのが特徴である。家長、老若の区別なく血族全員が分け隔てなく暮らそういう客家の崇高な思想を平面から読み取ることができそうである。
と同時に、やはり軍事防御施設ということが僕の脳裏をかすめる。漂流民、客家人たちは異民族支配の被害を避けると同時に、独立自尊の気構えで一致団結の志を固め、理想郷を求めて中国西南地域を彷徨い、古来の文化を保持するために山間僻地に立篭ったのではないだろうか。(鈴木喜一著『中国民家探訪事典』抄)
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